【内容】
都市暮らしの醍醐味
都市文化の醸成舞台
優しい生活舞台づくり
1.都市暮らしの醍醐味
次世代シェアハウスによって、「プチ公共意識」が芽生え、知縁コミュニティによって、温もりのあるエコシステムが形成され、お祭り感覚で定期的に、様々なコミュニティが交流し、膠着した日常をシャッフルされるようになると、窮屈な日本社会が、少し風通しが良くなる気がしませんか。
オンライン1stの世界では、自分一人が「脳内」で紡ぎ出す妄想ストーリーに陥りがちです。
さらにネット上のアルゴリズムが生み出す「フィルターバブル情報」によって、「妄想の肥満」状態になってしまいます。
これを予防するためには、敢えてリアルな都市で人・モノ・環境と交流機会をつくり、シェイプアップしていく事によって、しなやかな思考を取り戻す必要があるのではないでしょうか。
多様な人々の営みを眺めながら佇めたり、知己との対話や偶然の出会いを楽しみながら交流できたり、突然のハプニングや発見を通じてワクワクできたりする機会が、都市暮らしの醍醐味と言えます。
2.都市文化の醸成舞台
技術革新によって、利便性を享受・消費するだけ、「イマ・ココ・ジブン」にだけ興味があるのなら、都市で暮らす必要はなくなりつつあります。
これからの都市暮らしの意味は、多様な情報交流の機会を通じて、「ワタシ達のミライ」を創造・共有していく事にあるのではないでしょうか。
「ワタシ達のミライ」を創造していく舞台となる「場」は、「均質なホワイトキューブ」ではなく、地域(空間)的なつながりや、歴史(時間)的な文脈を継承した「曲のある土地」である方が魅力的です。
SNSを通じた「映え」が注目されるようになりましたが、真の「映え」とは、奇を衒うものではなく、「自分(ワタシ達)らしさ(=世界観とストーリー)」です。
これからは、「自分らしい世界観とストーリー」を纏えるリアル環境を、ショールームのように生かして、オンライン上で共感(=経済価値)を獲得していくことが、有効になっていきます。
近代都市は、人間に文明として合理性と利便性とを提供してきました。
次世代の都市は、人間が土地の曲を生かしながら、「文化としてのコンテンツ」を上書きしていく舞台になります。
3.優しい生活舞台づくり
このように「ワタシ達のミライ」が共有できれば、それに向けた活動・行為に対しても「寛容」になれるのではないでしょうか。
「寛容な社会化」を推進できれば、「いろいろな事へのトライ」が許されます。何かあれば、ディスるばかりでホメなくなった日本社会、やり直せなくなった不寛容な空気感を変えていく事が可能になります。
京都では「学割」といって、学生や教員・研究者に対して、街なかの飲食店がサービスを割安で提供する寛容な風習が残っていました。
「イマ・ココ・ジブン」の経済一色や消費者至上主義ではなく、「ワタシ達のミライ」に期待すること、次世代への投資気分で世話を焼ける「ちょうど良い鬱陶しさ」がある、そんな「優しい生活舞台としての都市」づくりに繋がるのではないでしょうか。
「良い街は、街中が歩く以外の人たちで、溢れている」という都市計画家ヤン・ゲールの言葉を噛み締めたいと思います。
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